春見の手記

まだ何かくかも未定です

春見の就活手記1

 人間の寿命は幾分長すぎると私は思ってきた。

 私は、就職活動中の二十一歳の学生だ。私は就職活動をしていくうえで、自分がやりたいこと、成し遂げたいこと、夢、希望などを延延と考えた。そして、見つけた答えは筆を使う職業に就きたいと私は思ったのだ。そんな思いで今この文章を綴っている。というわけではないが。今私は、就活の中で自分が何をしたいか決まったその中でただ悩まされ、私はこの文章を一途に綴っている。

 就活サイトを見て、まず私は落ち込んだ。それらの職業に就く者たちは皆一様に学歴が高かった。そうして、私はひるんだ。彼らと私は学力的に見れば月とすっぽんだった。私の学歴など到底敵うものではなかった。それならばと、私は地元の編集社を覗いた。色々な編集社が見つかったが、どの会社も雇用条件があまり良くなかった。それでも、自分のやりたいことをなすためにはこれらに臨まなければならない。何かを得るためには、何かを犠牲にせねばならないのだ。二つ良いことさてないものよと河合隼雄先生はよく言っていた。でも、その中で私は逆のことを考えた。

 自分のやりたいことを犠牲にして、安定の為に働くのはどうかと。地元の金融機関に入り、日々銀行受付に座り、市民対応をする、営業の為店舗周りをする、融資をするために市民と談話をする、などなど。私が、現時点ではそこに生産性を感じない職に就くというのはどうか。勿論これは、私がそう思っているだけだ。そこに働く者は、有意義なものを抱いてるのだと思う。勿論そうだ。もし、自分の中で、どこか成長や進歩を感じれるものを感じなければ、私にとってそれはただお金を稼ぐための作業となり得てしまうのではないか。確かに、私たちは、労働の対価としてお金を貰っている。でも、彼らはお金以外のものを求めているのではないか。でないとそこになんの意味がある。それがお金だけだというのは凄く悲しいことではないかと思ってしまうのだ。だとすればそれなら何を求めて彼らはあんなにも真剣に働いているのだ。下手をすれば、いや下手をしなくとも私たちは四十年以上働き続けるのだ。その中で、彼らはその人生の大半を占める労働の中で彼らは何を求めているんだ。四十年間、ただやりたくもない仕事をお金の為だけに続けるなど私には到底不可能な話だと思うのだ。しかし、彼らは働き続ける。それは、本当に自分のやりたい仕事なのか。そして、あなたを働かすものはお金以外の何なのか私は知りたいと思った。(1040)

 アジカンの『WWW』をお供に、書き上げました。