春見の手記

まだ何かくかも未定です

友達

 情報通信技術の発達により、私たちの物理的距離は離れようと心理的距離は依然と変わら無くなった。勿論、これは友人間の問題だと思う。それが恋人関係とあれば、物理的距離は、二人の仲に大きな影響を与えるだろう。彼らが、目と目を合わし、身体を合わせたとき愛というものに肌身を通し、より一層触れることが出来るのだから。

 私は、いつも平日であろうと、休日であろうと時折、仲の良い三人組の仲間たちでゲームをしながらボイスチャットをして遊んでる。これが楽しいんだ。彼らとの距離は勿論離れてる。私たち3人ともに住む場所は異なっているのだから。それでも、ボイスチャットを通じて会話をすることもあり、私は彼らとの心理的距離間というものは学生時代の頃から変わっていない。それは心地のよい空間だった。どんなことも気兼ねなく話せる。私たちがする会話は、日ごろの生活から湧き出る小さな愚痴であったり、好きな楽曲、見ているアニメ、気になっているゲーム、またこれからの自分のことであったり、そんなことをゲームをしながらただ、ダラダラと話し続ける。それは、小さな幸せだった。こうして、仲の良い友人たちと繋がり続けることが出来るのも文明の利器の賜物である。人間関係ってすぐ消えてしまうものだと思うの。そこに、つながろうという積極性が無ければ、自然と消滅してしまう。学生時代の初期などよくあり得ることだ。最初は仲が良かったけど、付き合いが無くなるに連れて仲の良かった子から、双方にぎこちない笑顔を向け合う関係に変わってしまう。

 本当にすぐに消えちゃうから。だからこそ、大切にしたい。一つ一つのつながりを。そんなに多くのものは要らない。両の手ですくえるくらいで良い。私は中学から仲の良い友人は3人、高校からも仲の良い友人は2人しかいない、大学では思いのほか、たくさんいい人がいたから自分でも分からないかな。でも、多くの好い人と仲良くなれたのだから、その縁は出来るだけ大切にしたい。でも結局、仲の良い人と出会えるかなんて運だと私は思った。高校生の頃なんて、仲良くできる人が本当に居なくて文化祭はただただ苦痛だった。もし、あなたが周りの子と仲良くできないなと思ったら、その空間にはあなたと気の合う人がいないだけで、また違う場所に行ってみたらそこには仲良くできる気の合う人はいるかもしれない。だから、友達が出来なかったとしても、自分を責める必要なんてない。そこには、いなかった。それだけでいい。私はコミュニケーションが下手なんだ、そんなことも思うかもしれない。でも、コミュニケーションが下手だとしても、そんなことは関係なくあなたを分かってくれる人は分かってくれる。あと、そんなに多く入らないよ。あなたのことを分かってくれる人がいるのなら、それは一人でもいいと思う。(1152)チャーリー・プースを聴きながら。