春見の手記

まだ何かくかも未定です

春見の就活手記2

 今日は、会社説明会に行ってきた。一週間ぶりの会社説明会だ。この時期の就活生は毎日、説明会に行っているのかな。電話で話した僕の友人はそうだった。そして学生時代何も考えてなさそうな学友は毎日どこかしらの説明会に通っているらしい。金髪で、灰色の細い目をした彼は。今は髪を黒に染め、皆と変わらない春先に希望を待つ、須らく内定を求める就職学生に変わってしまった。どうして、そんなに行きたい会社を探せるのだろうか。彼らは、何がやりたくて何の志を以て、色々な企業を志望しているのか。

 私も実際よくわからないけど、ただ福利厚生という面を鑑みてその会社の説明会に顔を出した。リクナビサイトから県内企業でまだ説明会を受けられる企業を探して、その中にあった企業だった。感触は良かったと思う。健康医療食品会社だった、私にとって他者貢献感を感じることが出来るという思いも大きく満たせる企業であると思った。健康って、生きる上でとても大切なものだから。人の健康の役に立てているというのが少し気に入っている。勿論、どの仕事も他者貢献しているけどね。私たちのする仕事が、私たちの世界を作っているのだから。建築設計士が私たちの家を設計し、大工さんたちがその設計を元に家を作り、私たちはその家に住む。その家には多くの家具や、多くの電化製品、他私たちを楽しませる娯楽品が存在する。それらがあるから私たちは、日常を無理なく過ごせるし、暇な時間を楽しみに変えることが出来るんだ。そうやって、私たちは皆糸と糸が絡まるように、交わるように生きている。すべての仕事は、人の役に立っている。そう思えば、全ての仕事に価値を見出すことが出来る。それは、感じ方による。そう考えれば、どんな仕事だって価値あるものに変わる。

 今、私はとても安定した場所にいる。手を伸ばせば友人に会える、家族に会える、自分の中にある小さな欲求を満たせるだけのお金がある、そして、大学生という立場を有せば、たとい堕落な生活を送ったとしても免罪符がそこにはある。しかしそれも、あと一年で剥がれ落ちる。

 町を歩けば、どこもかしこも就活生ばかりだった。男は黒服に身を包み、青のネクタイを巻いている。女も同様、黒服に身を包み、シャツの第一ボタンを開け、髪を上げている。通りを歩く彼らの顔は、無表情で、説明会で見る彼らは皆うっすらと笑ってた。

 就活は自分の価値を再確認させられる。だからこそ、みんな分からなくなるんだ。自分がこれからどのように生きていくかの選択をするというのはとても大きな選択だ。大学四年間を何も考えずに過ごしてきた人間に突如立ちはだかる巨大な壁を前に私たちはもがき苦しみ確かな答えが出ないから。何が正解か分からないのだ。(1125)

懐かし「メルト」

 Vtuberである東雲めぐさんが投稿していた「メランコリック」のカバー動画を見て私は懐かしくなった。今は、もうそれほど興味のないボーカロイド音楽も三年くらい前はよく聴いていたんだ。私がボーカロイドを聴き始めたのは意外と変わったルートを得てだと思う。当時、中学一年生、いや二年生頃かな、西尾維新さんの「化物語」がアニメ放送で始まった。その主題歌である「君の知らない物語」に惹かれたのがその最初だったと思う。懐かしい。次いでに、その頃から聞き始めたsupercellは今でもよく聴いている。君の知らない物語さよならメモリーズうたかた花火、etc 。そして作曲家であるryoさんがボーカロイド楽曲として作った「メルト」に触れたのが本当のボカロとの出会いだったと思う。

当時既に「メルト」は百万再生を超えていたのではないだろうか。そのくらい人気だったと思う。メルトは聴きこんだ。まるで小説のストーリーのような楽曲だった。恋する女の子がその譜面上に描かれていた。恋する純真無垢な女の子だ。それはまるで女子高校生の妄想のような歌詞だった。そこに描かれる女の子も、当時まだSNSが発展途上のface to faceコミュニケーションが主流だった時代の恋愛が描かれているようで初々しい香りも感じる。果たして、今の子にも通じるのだろうか。朝髪を切ったことに気付いてほしい女の子を描くなんて。今の小説でそんな描写を入れれば、逆に新しくみえるんじゃないかな。

 

 私の数歩目の前を歩く彼。

私は咄嗟に走り彼の目の前に立つ。彼は私を見下ろす。

「ねえ、今日の私は何か違わない?」

「っさあ、いつもと変わらない気がするけど」

さも何もないようにふるまう彼に腹が立った私は、彼の腹に鉄拳を食らわせてやった。ぐっと彼がお腹を押さえている中、私は大股で先を歩んでいく。数歩歩いたところで、彼が私を名を呼んだ。

「すまんすまん。似合ってるよ、その髪」

「からかいとかいらないから。私はそういうの嫌いなの」

ぷんと首を振り、歩く私を彼が追う。

「ごめんごめん、本当だからさ。悪かったよ」

 

髪形を変えてきた女の子を逆なでする男の子という状況を描いてみた。あまり、新しいものなんて感じないや。寧ろ古い。ゼロ年代ライトノベルみたいだ。

当時、日常生活アニメが台頭してきたという時代的要因もあり、メルトも流行っていたのだと思う。上記の短文も、とらドラの竜司と大河を思い浮かべて書いたのだと私は思う。かと言って、竜司はこんなことはしないよね。

当時はラノベと言っても、学園ものや恋愛ものが席巻してたよね。今じゃ、そのほとんどが異世界ものだけど、つい最近、Amazonセールで鴨志田一さんの「Just because」を買ったから、それも読んだら語りたいと思うよ。今は珍しい、本格的な恋愛ラノベだよね。(1120)

春見の就活手記1

 人間の寿命は幾分長すぎると私は思ってきた。

 私は、就職活動中の二十一歳の学生だ。私は就職活動をしていくうえで、自分がやりたいこと、成し遂げたいこと、夢、希望などを延延と考えた。そして、見つけた答えは筆を使う職業に就きたいと私は思ったのだ。そんな思いで今この文章を綴っている。というわけではないが。今私は、就活の中で自分が何をしたいか決まったその中でただ悩まされ、私はこの文章を一途に綴っている。

 就活サイトを見て、まず私は落ち込んだ。それらの職業に就く者たちは皆一様に学歴が高かった。そうして、私はひるんだ。彼らと私は学力的に見れば月とすっぽんだった。私の学歴など到底敵うものではなかった。それならばと、私は地元の編集社を覗いた。色々な編集社が見つかったが、どの会社も雇用条件があまり良くなかった。それでも、自分のやりたいことをなすためにはこれらに臨まなければならない。何かを得るためには、何かを犠牲にせねばならないのだ。二つ良いことさてないものよと河合隼雄先生はよく言っていた。でも、その中で私は逆のことを考えた。

 自分のやりたいことを犠牲にして、安定の為に働くのはどうかと。地元の金融機関に入り、日々銀行受付に座り、市民対応をする、営業の為店舗周りをする、融資をするために市民と談話をする、などなど。私が、現時点ではそこに生産性を感じない職に就くというのはどうか。勿論これは、私がそう思っているだけだ。そこに働く者は、有意義なものを抱いてるのだと思う。勿論そうだ。もし、自分の中で、どこか成長や進歩を感じれるものを感じなければ、私にとってそれはただお金を稼ぐための作業となり得てしまうのではないか。確かに、私たちは、労働の対価としてお金を貰っている。でも、彼らはお金以外のものを求めているのではないか。でないとそこになんの意味がある。それがお金だけだというのは凄く悲しいことではないかと思ってしまうのだ。だとすればそれなら何を求めて彼らはあんなにも真剣に働いているのだ。下手をすれば、いや下手をしなくとも私たちは四十年以上働き続けるのだ。その中で、彼らはその人生の大半を占める労働の中で彼らは何を求めているんだ。四十年間、ただやりたくもない仕事をお金の為だけに続けるなど私には到底不可能な話だと思うのだ。しかし、彼らは働き続ける。それは、本当に自分のやりたい仕事なのか。そして、あなたを働かすものはお金以外の何なのか私は知りたいと思った。(1040)

 アジカンの『WWW』をお供に、書き上げました。